ゆったりとチラシの裏を溜めておく場所
2回目。
最近、出かけると思うこと。
年齢なんて関係なく行われるモラルの葬式。
最近、出かけると思うこと。
年齢なんて関係なく行われるモラルの葬式。
人とは社会的な生き物である。偉い人はそんなことを言ったらしいが、この答えは何処か矛盾していて、何処か破綻していると感じるのは自分だけなのだろうか。
モラル。それは道徳。道徳。それは守るべきもの。人が人としてあるために、社会的な生き物であるために必要な要素であるらしい。自分の解釈を含めて言うならば、これは人の基盤だ。モラル失くして人を名乗るのは無粋の極みであり、最低限度の知識である。しかしながら、外に出てみるといい。道徳は既に葬式済みで、いたるところで火葬の跡が見える。そして残ったのは無機質な灰、冷たいだけの空間に何処までも侮蔑を振りかざす空だけ。悲しいなんてものではない。
人は人である。所詮モラルを失くしたところで外面が残る以上、人型というカテゴリーからは外れるわけにはいかない。極端な例を出してしまえば、グールだろうがゾンビだろうが人である。では、人とゾンビを、人とグールを別つ決定的な違いはなんだろう。それは知識や知恵、考えることではない。モラル。これに限るだろう。ゾンビは同類のためを思って動きはしない。当たり前のルールを守らない。
嗚呼、なんて残酷な時間だろう。哀しみをぶつけたところで、軽くあしらわれる時代だ。ルールなき無法地帯に足を踏み入れていると心して掛かれ。嘆くのも、喚くのも、惰眠を貪る怠惰な阿呆。そして、基本もできず、しかしながら、運の良いだけで威張りつくす馬鹿。どちらも悲しいものだ。それが社会。飽くまで続く世界なのだから。
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